健康がわかる!?逆転理学療法士☆みっちーブログ

第2、第4水曜日に健康について発信中!一人でも多く健康に興味を持つ人が増えますように!!

ピラティスについて~コントロロジーの歩み~

本日から1週間チャレンジをしたいと思います。

 

1週間チャレンジとは

 

例えば、ピラティスについてという議題を出したら

 

ピラティスに関連した事を1週間細かいところまで掲載しようと思います!

 

まず1日目はピラティスの歴史について書いていこうと思います!!

 

 

 

1.ピラティス・メソッドの歴史

 

ピラティスを学ぶ上で、どのような歩みを経て、現在に至っているのか。

ピラティスがどのような流れで現在に至っているか年号別に書いていきたいと思います。

 

1880年

ドイツのデュッセルドルフ近郊のメンヒェングラートバッハでジョセフ・フーベルトス・ピラティスが誕生。

くる病、喘息、リウマチ熱などの持病を持つ幼少期

親の影響から運動と健康という分野で身体訓練法を研究する。

 

1912年

弟と仕事をしにイギリスに行く。

 

1914年

第一次世界大戦勃発しイギリスで捕虜となり収容所に抑留される。

捕虜の仲間の体力と健康の回復を手助けすることを始める。

これが後にコントロロジーと名付けられる身体調節法の始めりである。

寝たきりの患者のためにベッドにスプリングをつけて運動用の器具を作ったのもこの時期だといわれている。

 

1918年

世界的な規模でインフルエンザが流行し数万人の命が奪われる中、コントロロジーをしていた仲間たちは一人も病気に倒れなかった。

戦後はドイツに戻り、警察に訓練をし始める。

 

1925年

ドイツ軍の訓練を政府から頼まれるも、その思惑に気づき、アメリカに渡米することを選択。

アメリカへの途上、未来の妻クラーラと出会う。

 

1926年

ピラティスとクラーラはニューヨークに到着する

ピラティススタジオを開設。

口コミにより顧客は、キャサリンヘップバーン(僕が知っている女優)などのスターや医者、ビジネスマン、サーカスの芸人、体操選手など多岐にわたった。

 

1930年代~1940年代

バレエとモダンダンスの黎明期に、有名無名のダンサーや振付師がピラティスの下で学んだ。

ダンサーがケガをすると”アンクル・ジョー”(ジョセフ・ピラティ)のスタジオに足を運ぶようになっていた。

その中で、後にエルダー(第一世代の直弟子)と呼ばれる

カローラ・トリエー

‣イブ・ジェントリー

‣ロマーナ・クリザノウスカ

‣ロン・フレッチャ

‣キャサリンスタンフォード・グラント

‣ブルース・キング

‣ロリータ・サンミゲル

もスタジオでピラティスのアシスタントをしていた。

 

1945年

『リターン・トゥ・ライフ・スルー・コントロロジー』を出版。

このころから自分のメソッドを熱心に宣伝。

医師たちに実演

ニューヨークに配備された軍隊の指導

 

1950年代

売り込みの甲斐なく、コントロロジーは医療や教育制度の主流とはならなかった。

 

1965年

2番目のスタジオを開く。

開設当初から1972年までピラティスの教え子の一人、ナヤ・コーリーが、

その後1988年に閉設までは教え子のキャサリンスタンフォード・グラントが指導をした。

 

1967年

10月にジョセフ・フーベルトス・ピラティス死去

 

1968年

教え子のイブ・ジェントリーがメキシコ州にスタジオ開設

 

1971年

ロマーナ・クリザノウスカがピラティススタジオを引き継ぐ。

ロン・フレッチャーもスタジオ開設

 

1976年

クラーラ・ピラティス死去

1970年までスタジオを続けた。

 

1983年

スポーツ医療とダンスリハビリテーション部門の長、ジェームズ・ゲーリック医師はダンサー専門外来を立ち上げる。

その際に、ロン・フレッチャーに協力を求め、初めて医療的なピラティスのプログラムが作られた。

 

1989年

ロマーナ・クリザノウスカは2度の引っ越しの後、ピラティススタジオを閉設。

ニューヨークに自分のスタジオ・スペースを作る。

 

1990年代

コントロロジーは”ピラティス”としてさまざまなメディア等に取り上げられる。

アメリカ、また海外へも広まる。

 

1996年

ピラティス”という言葉を商法登録するか否かで集団訴訟が起きる。

 

2000年

裁判の判決は商標登録はキャンセルとなった。

ピラティスのインストラクターを養成するコースは各地で開催されている。

 

2009年

ピラティス人口は1200万人を超える。

 

まとめ

ピラティスの歴史ってすごいですね。

ピラティスさんが死んでもなお、語り継がれているってすごいことですよね!

 

ピラティスさんは死ぬ前に

【私は50年早すぎた】

とおっしゃっていたそうです。

 

これある意味大予言だなと思います。

 

今では、いろんな流派(エルダーによって変化)があって、その中でピラティスインストラクターが増え、世界各地でコントロロジーが広まっています。

 

医師にも認められつつあり、病院で取り入れているところも出てきていると聞いたことがあります。

 

ピラティスさんのメソッドが認知されるまでにほんとうにちょうど50年ほど。

今では、ブームにもなりつつありますからね。

 

明日は、ピラティスの直弟子であるエルダーのことについて、調べたことをまとめていきたいと思います。

 

本日も最後までみていただきありがとうございました。

 

では!!!!

 

参考文献

コントロロジー ピラティスメソッドの原点

Study Guide

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